30代前半のサービス管理責任者は利用検討するご家族に名刺をそっと差し出しました。
名前と役職、その横に印字された肩書き──「社会福祉士」
その五文字を見た瞬間、利用者家族の表情がほんのわずか柔らかくなる・・・
「福祉専門の方に相談できてよかったです。」
そのひと言が、名刺一枚の小さな威力を物語っているようでした。
しかし、この肩書きが抱えている“現実”を、どれほどの人が知っているのでしょうか。
名称独占という“静かな事実”
社会福祉士は国家資格です。
合格率は30%ですが、医師や看護師のように資格がなければ業務ができない“業務独占”ではなく、
名称独占資格というカテゴリーに属しています。
つまり、
資格がなくても相談援助の仕事はできますし、
資格単体の“社会福祉士という職務”はほとんど存在していません。
私は、この仕組みをずいぶん時間が経ってから知ることになりました。
20数年前──大学生だった私が描いていた“未来図”

20数年前、福祉系大学の机に向かっていた頃の私は、社会福祉士の未来を明るく想像していました。
「社会福祉士を取得すれば、将来必ず価値が高まる」
「専門職として働ける場が広がるはずだ」
参考書をめくるたびに、自分が“社会を支える専門家”に近づいているような感覚がありました。
国家資格という響きにも、大きな希望を抱いていました。
そして私は、
“社会福祉士の配置が施設の必須要件になる”
と素朴に信じていたのです。
しかし、現実は私が思い描いたものとは違っていました。
資格だけでは未来は変わりませんでした
確かに社会福祉士は評価されます。
ですが、求人票に書かれるのは「社会福祉士あれば尚良し」という控えめな言葉。
資格を持っているだけで特別な仕事が与えられるわけでもありません。
資格手当もわずかで、待遇が劇的に良くなることもほとんどありません。
結局のところ、
資格を取得しただけでは人生は劇的には変わらなかった
というのが現実でした。
20年前の私なら、少し肩を落としたかもしれません。
“社会福祉士という仕事”が存在しないことを、想像すらしていなかったからです。
それでも、この資格は私を支えてきました
それでも、です。
現場に出て数年が経った頃から、私は気づきました。
社会福祉士という肩書きは、まるで静かに支えてくれる杖のような存在だということに。
家族から厳しい言葉を向けられたとき、
関係施設との調整で判断に迷ったとき、
職員育成で根拠が求められたとき。
名刺に刻まれた「社会福祉士」という五文字は、
“自分はソーシャルワーカーなのだ”という心の軸を、そっと思い出させてくれます。
資格単体では仕事は生まれません。
けれど、支援者としての背骨をゆっくり育ててくれる力があります。
その作用は、資格取得当時の私が想像していたよりもずっと静かで、ずっと深いものです。
名刺の肩書きとしての“確かな効力”

福祉の現場では、名刺はただの紙ではありません。
名刺に「社会福祉士」と印字されているだけで、
家族は安心し、
関係機関は個人を認めて話しやすくなり、
職員は制度面の相談相手として信頼を寄せます。
名称独占という曖昧さを抱えつつも、
肩書きとしての「社会福祉士」は、
人と人との間に“ちょうどいい信頼”と“ちょうどいい距離”を生み出します。
資格が役割を作るのではなく、
肩書きが役割を育てていく。
福祉現場では、そんな逆転がごく自然に起きているのです。
経験 × 社会福祉士がつくる“支援の形”

福祉の仕事で本当に必要とされるのは、
制度の理解、他機関との調整力、そして相手に寄り添う姿勢です。
そこに社会福祉士として学んだ知識や倫理観が加わることで、
支援は初めて“専門性”を帯びていきます。
資格は道を照らし、
経験はその道を歩ませるもの。
どちらが欠けても支援は不安定になります。
20数年前の私が思い描いた未来は少し違っていましたが、
今の私は、この仕事の奥深さに強く魅力を感じています。
過去の私が描かなかった未来へ
福祉系大学で胸に抱いた期待は派手な形では実現しませんでした。
資格が突然価値を高めたわけでもありません。
ですが、
名刺の角に印字された「社会福祉士」という五文字は、
今日まで私の支援を照らし続けています。
資格は未来を連れてくるものではありませんでしたが、
未来を歩き続けるための杖にはなりました。
20数年前の私がこれを知ったら、
少し驚き、少しがっかりし、
それでもきっとこう言うだろうと思います。
「それでも、この資格を取ってよかった。」
なぜなら、社会福祉士という資格は、
人の人生を支える場所に立ち続けるための、
小さくて確かな、温かい灯りだからです。


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